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2015/04/25

御鎮座四百年大祭における御宗家の墓参

2015年4月15日から、19日までの5日間、久能山東照宮では、御鎮座四百年大祭が斎行されました。

例年であれば、4月17日の家康公の命日(神忌)、その1日だけ例祭が斎行されますが、今年は400年ということで、50年に一度の大祭です。

その大祭の第三日の儀「御例祭」には、例年通り、德川御宗家第18第当主である德川恒孝さんが祭司として招かれ、落合宮司をはじめとする久能山東照宮の神職の皆さんが御例祭に奉仕されました。

そしてその後も例年通り、御例祭参列者の一行は、神廟(神君德川家康公の墓)に墓参して、その後、神廟前にて記念撮影をしました。

以上、全てが例年通り、毎年のことなのですが、御大祭となった今年、例年と違ったのは、全国放送をする報道各社がその一部始終を見守ったということです。

4月17日当日の、NHKの報道の全文を以下に引用します。

徳川家康400回忌 命日に御例祭
(2015年4月17日 13時56分 NHK News Web)
ことしは徳川家康の400回忌に当たり、命日の17日、静岡市の久能山東照宮で家康の遺徳をしのぶ御例祭が行われました。
江戸幕府を開いた徳川家康は1616年の4月17日に75歳で亡くなり、静岡市駿河区にある久能山東照宮に葬られました。ことしは家康の没後400回忌の節目の年に当たり、命日の17日に御例祭が行われました。
神事では、徳川宗家18代当主の徳川恒孝さんが司祭を務め、古式にのっとった装束を身にまとった神職などおよそ350人が53段ある石段を上り、社殿に向かいました。そして、東照宮の落合偉洲宮司が家康の遺徳をしのんで祝詞を読み上げたあと、雅楽の演奏に合わせて春を告げる舞が奉納されました。このあと、一行は社殿の奥にある神廟と呼ばれる家康の墓を参拝しました。社殿の周りには多くの観光客が集まり、厳かな神事に見入っていました。
東京から来たという男性は「前から来たいと思っていましたが、きょうが命日だとは知らず、神事を見ることができ幸運でした」と話していました。また、木遣りを奉納した望月利郎さんは、「記念の年にできて、すがすがしい気分です。家康さんもおりてきて喜び、これからも駿府の町を守ってくれると思います」と話していました。

以下、当日当社にて撮影したその時の模様です。

黒の衣冠姿の御宗家らが神廟(德川家康公の墓)に参詣

御宗家らが家康公の墓前に整列

御宗家らが家康公の墓を参拝

家康公の墓前にて記念撮影

2014/11/02

徳川家康公の御遺骸が日光へ運ばれていない明白なる証拠

久能山東照宮の、神廟(神の墓という意味)

日光の、奥宮(墓ではないという意味)

徳川家康公の御遺骸が日光へ運ばれていない明白なる証拠は、少なくとも以下の3つです。


1 日光には「廟」がない。

日光東照宮にあるのは、「奥宮御宝塔」です。そこにはお墓を意味する「廟」の字がありません。


2 日光の例祭は、家康公の御命日ではない。

日光東照宮では、家康公の御命日である4月17日におまつりをしません。
「まだ寒い時期だから1か月遅らせている」なんていう “言い訳” をされているようですが、本当に御遺骸があるなら、そんな馬鹿な話はありません。「御命日より暖かいことが大事だ」というのでしょうか? ギャグにもなりません。

家康公の御命日、4月17日に、毎年きちっと例祭を行なっているのは、久能山東照宮と、日光以外の全国ほとんどの東照宮です。


3 日光の例祭に、御宗家が「墓参」しない。

これは将軍家が代々曖昧にしてきたことのようですが、家康公の御命日から月遅れの例祭となる日光では、徳川御宗家は「日光の墓所」ということになっている「奥宮御宝塔」に参拝されないと聞きます。一体どういうことでしょうか? そこが本当に家康公が眠る墓所であるなら、月遅れとはいえ大事な例祭の日に「墓参」されないというのは、それが「お墓」ではないことの何よりの証拠です。


歴史学者の先生方へ、お願いです。

「日光に徳川家康公の御遺骸が埋葬されている」という説の間違っていることは明らかです。かくも明らかであるにも関わらず、それでもまだ間違った説を「支持する」とされる先生方には、もっと誰でも納得できる根拠をお示しいただきたいと存じます。