2014/11/02

徳川家康公の御遺骸が日光へ運ばれていない明白なる証拠

久能山東照宮の、神廟(神の墓という意味)

日光の、奥宮(墓ではないという意味)

徳川家康公の御遺骸が日光へ運ばれていない明白なる証拠は、少なくとも以下の3つです。


1 日光には「廟」がない。

日光東照宮にあるのは、「奥宮御宝塔」です。そこにはお墓を意味する「廟」の字がありません。


2 日光の例祭は、家康公の御命日ではない。

日光東照宮では、家康公の御命日である4月17日におまつりをしません。
「まだ寒い時期だから1か月遅らせている」なんていう “言い訳” をされているようですが、本当に御遺骸があるなら、そんな馬鹿な話はありません。「御命日より暖かいことが大事だ」というのでしょうか? ギャグにもなりません。

家康公の御命日、4月17日に、毎年きちっと例祭を行なっているのは、久能山東照宮と、日光以外の全国ほとんどの東照宮です。


3 日光の例祭に、御宗家が「墓参」しない。

これは将軍家が代々曖昧にしてきたことのようですが、家康公の御命日から月遅れの例祭となる日光では、徳川御宗家は「日光の墓所」ということになっている「奥宮御宝塔」に参拝されないと聞きます。一体どういうことでしょうか? そこが本当に家康公が眠る墓所であるなら、月遅れとはいえ大事な例祭の日に「墓参」されないというのは、それが「お墓」ではないことの何よりの証拠です。


歴史学者の先生方へ、お願いです。

「日光に徳川家康公の御遺骸が埋葬されている」という説の間違っていることは明らかです。かくも明らかであるにも関わらず、それでもまだ間違った説を「支持する」とされる先生方には、もっと誰でも納得できる根拠をお示しいただきたいと存じます。

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